稀代の音楽家・小島裕規のクリエイティビティの源泉とYaffleとして目指す先とは | Newave Japan #28

Newave Japan
音楽ライフを掘り下げるインタビュー企画『Newave Japan』。28回目は今年から海外コラボプロジェクト「Yaffle」をスタートさせた小島裕規。18年初めにベニー・シングスをボーカルに迎えた「Empty Room」を発表し、その圧倒的なクオリティに驚いた人も多いのではないだろうか。 彼は宇多田ヒカルとのコラボで注目を集めた小袋成彬と共にインディーズレコード会社「Tokyo Recordings」の主宰を務め、数々の優れた楽曲を多方面に提供し続けている今最も注目すべきクリエイターの1人。そんな彼に今までどういった経験を経て今に至ったのかを語ってもらいました。

音楽的好奇心が積み重なって育った学生時代

ー音楽との出会いはなんだったんでしょうか?

祖母の勧めでYAMAHAの音楽教室に通い始めたのが楽器の初めての経験ですね。全然長続きしなかったんですが、その後母親に続けたほうが良いと言われて、知人の音楽の先生を紹介されたんです。それが6歳ぐらいの話で、高校で吹奏楽部に入るまでピアノは続けてました。

ーその時は自分で音楽をやろうって思ってましたか?

いや、考えてなかったです。ピアノは続けてましたが、子供の頃って習い事やめるのも勇気いるじゃないですか(笑)。だから中学までは本気で音楽をやってやろうって気はなかったですね。ただのCD大好き少年でした。

音漏れに気づかず開放型のヘッドホンを爆音にして音楽かけながら歩いてて、友人たちからLISMO(※auの音楽サービス名、シンボルキャラクターがイヤホンで音楽を聞くリスだった)って呼ばれましたね(笑)。

ー学生時代の好きなミュージシャンはなんでしたか?

CDはSPEEDのBody And Soulと玉置浩二の田園を小学一年生の時に買ってもらったのが初めてでした。
中学生の時は周りがバンドブームで、ロードオブメジャーとか175Rとかが流行ってる中でスキマスイッチが好きでした。あのアフロの人が何やってるか気になって。アレンジってなんだろうみたいな。

ー高校で吹奏楽部に入ってからは何か変わったんでしょうか?

中学のときにコード進行を勉強してたんで、少し周りより音楽的な知識があって吹奏楽内の音楽技術的な仕切りを任されるようになったんです。そこで演奏の構成とかに興味がでてきて。

あとは当時Windowsで「ミューズ」っていうテキストから音を生成するフリーソフトにハマって、できた曲をネット上で投稿して色んな人に評価してもらうってことをずっとやってました。それが打ち込みに出会ったキッカケです。

ーバンド活動もやられてたとか?

吹奏楽の隣に軽音楽部がいて、たまに顔を出してたんですよ。僕はキーボードで参加して、当時流行ってた東京事変をバンド掛け持ちで何曲もコピーしました(笑)。

並行してUKガレージが好きなメンバーとオリジナル曲も作ったんですが、そこで録音にも興味がでて、機材揃えてパート別に録音して、ミキシングするのもその時から始めましたね。

ー高校生の時の音楽経験が濃いですね。演奏だけではなくオーケストラの指示からバンドの録音までこなすといった人はレアだと思います。

そうですね。僕の根源としては、人との付き合いの中で音楽をやることが当時から大事にしてるところで。その中で面白いと思ったことをやってます。

次ページ:大学の音楽活動からTokyo Recordingsへ

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Tokyo Recordings の設立メンバーの一人で、Capeson のプロデュース、柴咲コウ、水曜日のカンパネラ、上白石萌音、Charisma.com、SIRUP、iri らのアレンジや楽曲提供から CM、映画『ナラタージュ』などの音楽制作等、幅広く活躍する気鋭のソングライター/プロデューサーである。

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